世界の“知”の源流 ブリタニカ国際大百科事典の魅力。
ブリタニカ---誰もがその名を耳にしたことがあるであろう、百科事典の代名詞である。
しかし意外なことに、書籍としてのブリタニカ百科事典は、現在作られていない。
その世界的な“知”の宝庫の最新版は、DVD-ROMなどの電子メディアに格納され、より身近に、
そしてより活用しやすい百科事典として多くのファンに愛されている。

ジャストシステムの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目版2008」も、Just MyShop限定商品でありながら人気の定番アイテムだ。そんなブリタニカ百科事典(以下、ブリタニカ)が、他の百科事典と一線を画した存在感を身にまとって我々の目に映るのはなぜだろうか。
その歴史や知られざる物語など、興味深いお話をブリタニカ・ジャパン株式会社に聞いた。

ブリタニカ・ジャパン株式会社 編集開発本部 本部長 編集長 岡野 和則 マーケティング・コーポレートプランニング本部 本部長 吉川 秀紀

執筆陣には世界の偉人がズラリ!
---ブリタニカは、百科事典の中でもひときわ学術性に富んでいる、あるいは格調高いといったイメージがあります。具体的に、他の百科事典とどこが違うのでしょうか。
岡野:「一番の特徴は、その歴史でしょうね。ブリタニカの誕生は、1768年(なんと240年前!)。
当時作られていた百科事典は、実はほかにもあったのですが、ブリタニカ以外はすでになくなってしまった。したがって、現存する英語の百科事典としては、もっとも古い。ちなみに、ブリタニカの日本版が発売されたのは1972年。現在ある国内大手の百科事典が誕生したのが1934年ですから、国内では後発なんです。」

吉川:「本物の初版本は、今ではわずか2セットしか存在しません。1セットはアメリカの本社に、もう1セットは我々のオーナーが所有しています。ただし初版本はレプリカが作られていて、なんと紙のシミまで再現されているんですよ。」

---書かれている内容についてはいかがでしょう?
岡野:「執筆陣が著名である点は、大きな特徴といえます。初版では、アメリカの政治家であり科学者のベンジャミン・フランクリンが『電気』の項目の執筆を担当しています。」

---あの、凧揚げの実験で雷が電気であることを証明したフランクリンですか!?
岡野:「そうです。ほかには、イギリスの思想家、ジョン・ロックが『人間理解』という項目を寄稿しています(注:没後寄稿)し、さらに後の版では、キュリー夫人やヘンリー・フォード、アインシュタインなども書いていますね。」

---当時の編集者の方が、そういった蒼々たる世界の偉人に執筆をお願いしたんですね。
岡野:「そのようです。そもそもブリタニカの編集方針というのは、大項目主義といって、これも大きな特徴なのですが、論文が主なんですね。一般的な百科事典のように各項目について短い解説を書いてもらうというより、その道のエキスパートたちに、設定したテーマについて論文を書いていただいているというわけです。」
240年前の初版本のレプリカ。元になったのは、アメリカ本社の蔵書だ。寄稿者名に、ベンジャミン・フランクリンの名が確認できる。


高度な専門知識を正確に、一般の人々へ
---ということは、当時のブリタニカは、専門的な知識を必要とする学者や知識階級のためのものだったのですか。
岡野:「いえ、それがまったく逆なんです。ブリタニカが誕生した18世紀終盤は、啓蒙思想が発達してきた頃で、王室から国民へと主権が移ってきた時代です。この流れの中で、一般の人たちに広く、多く(それまで知識階級の寡占状態にあった)さまざまな教養を持ってほしいというのが、当時の百科事典の創刊の考え方であったと聞いています。

ごく普通の誰でも、その気になれば農学や天文学、植物学、化学などを学べるようにしたいというのが、ブリタニカ百科事典創刊の言葉だったんです。ただし、一般の人々に教えるのであっても、妥協せずに一流の執筆陣を揃え、当時のもっともすぐれた情報を正確に伝えたいと考えていたんですね。」


真の“国際百科事典”へ
---日本版のブリタニカは、海外版をそのまま翻訳したものなのでしょうか?
岡野:「そう思われている方が多いんですよね。でも、そうではないんです。
正しくは、約半分が翻訳で、半分が書き下ろしです。1969年に日本版の編集が始まったときに日本側の編集者の指摘として挙がったのが、ブリタニカの内容が欧米からの視点に偏っていないか、ということでした。もともとイギリスやアメリカで作ったものですから、それは当然といえば当然です。ただ、それが日本で受け入れられないのではないかという心配もありました。

そこで、欧米中心の見方や考え方を改めることになったのです。特に日本の人物や文化に関する記述は、やはり日本側で書き起こすべきだろうと。たとえば徳川家康については、日本の学者が執筆した方が、やはり詳しく正確に書けますから。

この指摘は、アメリカの編集部でも大いに賛同を得ました。これからの国際百科事典は、欧米の考えをベースにするのではなく、真の意味のインターナショナル、コスモポリタンを考えた場合に、特定の文化にとらわれないものであるべきだろう、そう意見がまとまったのです。

その後、ブリタニカは日本以外にも韓国、中国、台湾、フランス、ヨーロッパその他の国々へと拡大して行くのですが、編集方針も記述内容も現地の考え方を重んじ、欧米中心にならないよう配慮する。これをずっと徹底しています。そして、そのきっかけになったのが日本版の発行だった。実は、日本版がブリタニカにとって最初の外国版だったんですよ。」


>>そして、百科事典はアナログからデジタルへと進化することになるのだが…(次のページへ)

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