あの『広辞苑 第七版』は
こうして作られた! -後編-

に引き続き、『広辞苑』第七版の誕生秘話について、岩波書店へのインタビューをお届けする。後編の今回は、収録された言葉や図版に関するエピソードを具体例とともにご紹介。 さらに、書籍版とATOK版の違いと棲み分けへの考え方に関してもお話を伺った。

辞書から削られる言葉もあるのですよね?

よく聞かれるんですが、削る言葉って何でそんなにみんな興味あるんでしょうか(笑)。削る言葉は、まあ引かないだろうなという言葉なんで、「こんな言葉削りましたよ」って見せても、ほとんどおもしろくないと思うんです。

まず、編集上で項目名を変えたために、一見消えてしまった言葉があります。例を挙げると、「歯舞諸島」と「歯舞群島」について、以前は「諸島」で載っていたんですが、正式名称が「歯舞群島」となったので項目名を変更したため、「歯舞諸島」という見出しがなくなったことになります。 それから複数項目に分けていた言葉を1つに統合したケースがあります。たとえば「ただ」は「直」「只」「唯」の項目にわかれていましたが、語源的に同じだということで、一項目にまとめました。

そのほかにも、スペースを確保するために、ほとんど引かれないだろうと考えた参照項目を削ることがあります。「イレブン」を「イレヴン」で引く人はいないだろう、「ルイ9世」のことを「聖(サン)ルイ」で引く人もいないだろうということで削りました。

それから、「書留小包」「給水ポンプ」といった単純な複合語は、削れる対象の一つです。「書留」「小包」などは個別に引くことができますし、組み合わせたときに、それ以上の意味が加わるわけではありませんからね。

一方で、広辞苑は古語も載せている辞典ですので、言葉が使われなくなったことを理由に削ることはありません。「フロッピーディスク」や「ポケベル」のように、それを知らないとある時代の小説や文献が読めないくらい、一定期間定着した言葉は削らないようにしています。

スペースの確保は、切実な課題なのですね。

改訂で新項目を追加する一方で、1冊に収める必要があります。項目ごとにバラバラに編集を進めていき、最後に本の体裁に組上げるまでページ数がわからないので、賭けみたいなところがありますね。今回も、1項目は平均これくらいの行数だから何ページくらい増えるかと概算して、製紙会社さんにそのために薄い紙を作ってもらいました。

新しい原稿を作るときには、これが何行かなどと数えている余裕はありません。原稿を整理する中でできるだけ字数を減らそうとか、不要な項目を見つけようとして、結果としてなんとか全体で140ページ程度の増に収めることができました。

今回の改訂で、図版も増えているのですよね。

今回は、恐竜の図版は多く増えました。「パキケファロサウルス」などの図版もあります。それから、先カンブリア時代の生物の図版も増やしています。

辞書作りの苦労、そして喜びは?

そうですね。仕事って9割以上が苦労ですよね(笑)。うれしかったのは、140ページ増に収まったことでしょうか。あとは、1つ1つの項目の解説文や語釈をああでもない、こうでもないと磨いていって、短い字数でぴたっとおさまって、1つのブロックがカチッとできるとそれは楽しいですね。そのブロックたちが、隙間なく石垣の石組みのように積まれていって、1冊の構造物ができあがるようなイメージです。

「舟を編む」(小説・映画)で描かれた辞書編集部の世界は現実に近いのですか?

とても応えにくい質問ですね(笑)。実際に、私が三浦しをんさんの取材に対して応えたことが取り入れられていますし、あとから辞書制作の作業について間違いがないかチェックしてほしいと言われました。ですので、現実に近いかといわれれば、その通りです。辞書編集部というのは、社内でも特殊な職場で、他部署からは何をやっているのかと思われがちですが、これを読んでみてって言える教科書を作っていただいて良かったと思います(笑)。

辞書データの作成はデジタル環境なんですか?

ワープロ専用機が出てきた1980年代から電子機器は使っていますし、今では新加項目候補もExcelにどんどんデータ入力しています。

電子版やアプリ版と紙の辞書に違いはあるのですか?

内容に違いはありません。ただ、紙版と電子版の、どちらで見る人をメインに編集すべきかというのは、今も悩みながら作っています。

たとえば、「天照大神」は読みにくいだろうということで、「あまてらすおおみかみ」の割ルビ(文字の下に2行に分けてふりがなを付けること)を入れるとします。そのすぐ後にも「天照大神」があると、紙で見ている人にはルビを入れるとうっとうしく感じます。けれども、電子辞書で1項目ずつ表示する場合には両方にないと不親切です。そこの方針はずっとゆれているところですね。

紙版と電子版のどちらを使ってほしいと考えられますか?

よく、両者を対立させて「vs」みたいにされがちですが、どちらにも良さはあるので使い分けていただければと思います。それよりも対立させるとすれば、「辞書vsインターネット」ですね。

ある言葉を知りたいときに、インターネットで検索すると、何千文字もの解説が出てきます。それに対して、広辞苑の解説は数十文字です。

文字数だけで比べればかないませんが、インターネットでは無限といっていい情報が得られるのに、いまだに「広辞苑によれば」と言っていただけるのは、広辞苑なら一言で解説しているからです。ある言葉に対する説明が一言でほしいという場面は、前から減ってないはずなんですね。

そして、玉石混淆の情報の中から選び出すよりも、「広辞苑によれば」としておくと、それなりに信用もしていただけるのでしょう。

先ほど、1冊に収めるために文字数を削る話をしましたが、スペースを確保するだけでなく、文字数を削ることにより、解説文を磨いてより的確な表現を生み出していくという面もあります。文字数を削る意識がなくなると、広辞苑じゃなくなるし、ゆるんでいくんじゃないかと思いますね。

ATOK版の広辞苑を使ってみた感想は?
ユーザーにはどのように使ってほしいですか?

楽しいですね。すごく手軽に引くことができます。使っていく中で、こうした使い方が便利なんじゃないかと、アイデアが出てくると思います。

ユーザーの方にちょっと気をつけてほしいことは、広辞苑では、歴史的な意味の変化に従って、語釈を記述しているということです。そのため、前の方だけを見ると、現代の使われ方と違うと感じることがあります。ですので、一部だけを見るのではなく、項目全体を見て言葉の意味を知っていただくとありがたいですね。少し寄り道しながら使ってみると楽しいと思います。


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